
FAX、現金、行政窓口は、デジタル化が進んでも日本から消えていません。個々の業務だけを見れば、古い手段を残すと手間と費用が増えます。しかし、端末を持たない人や操作に不慣れな人にも同じサービスを届けるという目標に照らせば、評価は変わります。AIボイスボットを導入しても有人対応をなくせない理由も同じです。AIには、人を減らすだけでなく、日本社会が積み上げてきた信頼を無理なく維持する役割が求められます。
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「非効率に見える仕組み」が利用者を支えている
FAXや現金には、転記、保管、照合、集計などの手間がかかります。窓口での手続きには場所と人員が必要で、利用者にも待ち時間が生じます。業務効率だけを比べれば、デジタルに統一した方が優れています。ところが、利用者の年齢、所得、端末、通信環境、デジタル機器への習熟度まで含めると、利用条件の少ない手段を残す理由が見えてきます。
なぜFAXがなくならないのか
FAXは、受信した内容の転記や保管に手間がかかり、誤送信の危険もあります。検索や集計にも向かないため、非効率で前時代的な通信手段だと長く批判されてきました。それでもFAXがなくならないのは、送り手にとって便利だからではありません。電子メールやWebシステムへ移行できない取引先を、商取引から排除しないためです。
デジタル庁とIPA-DADCが2022年に公表した資料によると、2021年の中小事業者の請求業務では、郵送が83%、FAXが17%使われていました。EDI、Web-EDI、クラウドはいずれも10%以下です。複数の手段を併用する事業者も含まれますが、電子データだけで請求業務を完結できない事業者が少なくない状況を示しています。
請求書の受付をWebシステムに一本化すれば、受け取る企業は処理を効率化できます。しかし、取引先にはアカウントの管理やデータ入力が求められます。パソコンや対応するシステムを用意できない事業者は、発注や請求の手続きを行えなくなる可能性があります。
FAXが残っているのは、優れた通信手段だからではありません。代替手段を用意できない取引先を取り残さず、これまでの取引を継続するためです。電子化できない取引先がいる間はFAXを残し、移行できる業務から順次デジタルへ切り替える必要があります。
なぜ現金をなくせないのか
現金の取り扱いには費用がかかります。店舗は釣り銭を用意し、売上金を数え、保管や入金を行わなければなりません。盗難や紛失の危険もあります。店舗運営の効率だけを考えれば、キャッシュレス決済へ統一する方が合理的です。それでも現金をなくせないのは、すべての人がキャッシュレス決済を利用できるわけではないからです。
日本のキャッシュレス決済比率は2025年に58.0%となり、決済額は162.7兆円に達しました。キャッシュレス決済が広く普及した現在も、現金は使われ続けています。スマートフォンを持たない人、アプリを操作できない人、クレジットカードや銀行口座を持たない人にとって、現金を別の決済手段で置き換えるのは困難です。
スマートフォンやカードを持っていても、端末の充電が切れたり、通信障害や決済システムの停止が起きたりすれば、キャッシュレス決済を利用できません。日本銀行も、誰でも、いつでも、どこでも、安心して使える決済手段を重視しています。決済をデジタル化するだけでは、現金が担ってきた役割をすべて引き継げません。
店舗が現金とキャッシュレス決済の両方に対応すれば、現金の管理費用とキャッシュレス決済の手数料を同時に負担する必要があります。それでも現金を残せば、キャッシュレス決済を利用できない人にも商品やサービスを提供できます。通信障害などが起きた場合にも、営業を続けられます。
現金が残っているのは、慣習や利便性だけが理由ではありません。キャッシュレス決済を利用できない人を取り残さず、デジタル決済が機能しない状況にも対応するためです。効率よりも利用機会の確保を優先するなら、現金とキャッシュレス決済を併用する仕組みには合理性があります。
なぜ窓口を電子化できないのか
行政手続きをスマートフォンからの申請に統一すれば、窓口の混雑や書類の入力作業を減らせます。申請内容を初めから電子データとして受け取れるため、行政側の処理も効率化できます。スマートフォンの利用を前提に制度を設計する方が、運用費を抑えやすいのは明らかです。
しかし、すべての人がスマートフォンを持ち、行政手続きを自力で完了できるわけではありません。2025年のインターネット利用率は全体で85.7%でしたが、70~79歳では71.9%、80歳以上では37.1%でした。日常的にインターネットを利用している人でも、アプリの導入、本人確認、書類の撮影、パスワードの管理を一人で行うのが難しい場合があります。
税、年金、介護、戸籍、各種給付は、生活に欠かせない行政サービスです。申請をスマートフォンだけに限定すれば、端末を持たない人や操作に不慣れな高齢者ほど、必要な支援を受けにくくなります。日本の行政は、そのような人が取り残される状況を良しとせず、窓口や電話、郵送による手続きを残してきました。窓口では、職員が操作を支援しています。
複数の申請方法を残せば、行政はデジタルと従来の手続きを並行して運用しなければなりません。人員や設備を維持する必要があるため、デジタル化を進めても費用は大きく減りません。業務効率だけを見れば、非合理的な仕組みです。
日本の行政システムや決済システムに残る非効率は、単なる怠慢やデジタル化の遅れだけでは説明できません。スマートフォンやキャッシュレス決済を利用できない人を取り残さないため、あえて運用の負担を抱えている面があります。効率を最優先にすれば切り捨てられる人にも、同じサービスを届けるための選択です。この点は、日本のデジタル化を評価する際に見落とされがちです。

なぜAIボイスボットを導入しても費用が下がらないのか

AIボイスボットは24時間稼働し、定型的な問い合わせを大量に処理できます。電話の待ち時間を減らし、担当者の負担を軽くする手段として有効です。ただし、AIが応答した件数だけでは、導入効果を判断できません。利用者の問題が解決したか、担当者への引き継ぎが円滑だったかに加え、AIと有人窓口にかかる総費用も確認する必要があります。
AIだけでは解決できない問い合わせがある
営業時間や料金、手続きの進捗など、よくある質問への回答にはAIボイスボットが向いています。深夜や休日にも回答できるため、利用者の利便性も高まります。電話がつながるまでの待ち時間が短くなり、担当者は個別の判断が必要な相談に時間を割けます。
一方、契約内容の確認、複数の問題が絡む相談、苦情、緊急性の高い連絡には、利用者の事情を聞いたうえで判断する担当者が必要です。話している途中で用件が変わる場合や、質問の前提が誤っている場合もあります。利用者の状況に当てはまる選択肢がなければ、AIとの会話を続けても解決へ近づきません。
大手通信会社で行われた自然実験では、音声AIの導入直後に利用者がAIとやり取りする時間が延び、有人対応を求める利用者も一時的に増えました。音声認識に失敗した場合は、有人対応を求める利用者が増え、苦情も増える傾向が確認されています。一方、全体で見ると、導入後は苦情が継続的に減りました。音声を正しく認識できなかったり、複雑な相談を担当者へ適切に引き継げなかったりすると、有人対応の負担が残ります。
音声認識は、話者によって精度が異なります。米国英語を対象に5社の音声認識システムを調べた研究では、黒人話者と白人話者の間で、単語誤り率に大きな差がありました。この数値は日本語の方言や高齢者の話し方にそのまま当てはまりませんが、受付を音声だけに限定すると、認識されにくい利用者は同じ内容を何度も話さなければなりません。
AIを導入しても有人窓口は残る
AIとの会話では手続きを進めにくい人や、個別の判断が必要な相談に対応するには、有人窓口を残さなければなりません。企業にはAIの利用料や通話料だけでなく、応答内容の設計と改善、業務システムとの連携、回答の監視、セキュリティ対策にも費用がかかります。さらに、有人窓口の人件費と教育費も残ります。
AIから担当者へ引き継ぐ際、問い合わせ内容や本人確認の結果が正しく共有されなければ、利用者は同じ説明を繰り返さなければなりません。担当者も初めから聞き直すため、解決までに余計な時間がかかり、AIの利用料と担当者の人件費が重なります。
定型的な問い合わせをAIが処理するようになると、担当者には複雑な相談が集中します。担当者が受ける問い合わせが減っても、1件当たりの対応時間は延び、より多くの知識と高度な判断が求められます。入電件数の減少に合わせて単純に人員を減らせば、難しい相談を受ける担当者が足りなくなります。管理者による支援や教育も以前より重要になります。
AIなどの汎用技術で生産性を高めるには、業務の再設計、教育、データ整備、組織の変更といった補完的な投資が必要です。導入初期は投資が先行し、生産性の向上や収益の改善が表れるまで時間がかかります。これは生産性のJカーブと呼ばれています。AIの処理単価だけで削減効果を見積もると、有人窓口の維持費や業務の再設計にかかる費用を見落とします。
問い合わせ窓口をデジタルに限れば、AIが処理しやすい業務手順に統一できます。電話、対面、書面などの代替手段を残す場合、自動化した業務だけを見れば費用が下がっていても、代替手段の維持費が残るため、企業全体の支出は大きく減りません。
AIは人員削減に向いていない
コールセンターでは、利用者への直接応答以外にもAIを活用できます。5,172人のカスタマーサポート担当者を対象とした研究では、生成AIによる応対支援によって、1時間当たりの問い合わせ解決件数が平均15%増えました。特に経験の浅い担当者ほど効果が大きく、AIを通じて熟練者の応対方法や知識が共有されました。
AIは、利用者が話した内容の整理、回答候補の提示、手続き方法の検索、応対記録の作成、引き継ぎ先の選定に使えます。定型的で、回答を誤っても影響が小さい問い合わせはAIに任せ、個別の判断が必要な相談では担当者を支援します。緊急性が高い案件や、利用者の感情に配慮すべき相談は、早い段階で担当者へ渡します。
この運用なら、利用者は必要なときに担当者へ連絡できます。担当者は、情報の検索や応対記録の作成に使っていた時間を、利用者への対応に充てられます。経験の浅い担当者が回答を組み立てやすくなり、応対品質のばらつきも抑えられます。人員を直ちに減らせなくても、待ち時間を短縮し、記録作業を減らせます。複雑な相談に割ける時間も増えます。
AIボイスボットの成果を測る際は、自動応答率だけでなく、問い合わせの解決率、再入電率、担当者への引き継ぎ成功率、解決までの時間、苦情件数、担当者の負担を確認しなければなりません。AIと有人対応にかかった費用を合計し、問い合わせ1件を解決するまでの総費用も確認する必要があります。高信頼社会では、AIの導入によって担当者につながりにくくなっては本末転倒です。AIは、必要な相談を担当者へ確実につなぐために使うべきです。
日本市場を守っているもの
社会の信頼は、相手を無条件に信用する気持ちだけで成り立つものではありません。同じ規則が適用され、約束したサービスが提供され、問題が起きても組織が対応するという経験の積み重ねが必要です。高い信頼を維持するには、人員、設備、教育、監督、例外対応に継続的に費用をかけなければなりません。
「高信頼社会」は継続的な関係に支えられてきた
フランシス・フクヤマは、日本を高信頼社会の1つに分類しました。フクヤマが注目したのは、家族の枠を越えて人々が協力し、大規模な組織を作る力です。組織に参加した人々がそれぞれの役割を果たし、長期的に協力できる関係が経済活動を支えています。
日本企業同士の信頼を支えているのは、文化だけではありません。制度的・社会的な制裁も、企業に約束を守らせる役割を果たします。約束を破れば、将来の取引機会や評判を失います。反対に、安定した品質と納期を守れば、取引関係を維持できます。取引が長く続くほど、取引先は相手の行動を予測しやすくなり、取引条件を毎回細かく確認する負担を減らせます。
行政や企業が全国どこでもおおむね同じ手続きで、同じ水準のサービスを提供し、例外が起きても組織として対応すれば、利用者はサービスが途中で打ち切られないと期待できます。担当者が替わっても記録が引き継がれ、問題が解決しなければ上司や専門部署が対応する仕組みも、組織への信頼を支えます。
OECDが2025年に実施した調査では、日本で政府を信頼していると答えた人は46%で、行政サービスに満足している人は70%でした。公務員への信頼は45%、政党への信頼は29%であり、すべての組織が一様に信頼されているわけではありません。それでも、日常的に利用する行政サービスへの評価は高く、組織が一定の手順で対応するという期待が社会に定着しています。
企業や行政が幅広い利用者に丁寧に対応すれば、その経験を通じて利用者の期待も高まります。次に利用するときも、前回と同じ水準の説明やサービスを受け、問題が起きたときにも対応してもらえると期待します。その期待に応えるには、受付手段を複数用意し、担当者を教育し、例外に対応する部署を置かなければなりません。高い信頼は、社会に初めから備わっているものではありません。企業や行政が、利用者の期待に応えるために費用をかけて維持しています。
誰も取り残さない仕組みは国際競争で不利になる
契約や決済、問い合わせをデジタルだけで処理する企業は、サービスの利用方法を標準化できます。同じアプリと業務手順を多くの国や地域で使えば、利用者が増えても費用の増加を抑えられます。電話や対面の窓口を設けず、例外対応も減らせば、少人数で多数の利用者に対応できます。
日本企業の多くは、デジタルだけに統一せず、電話や郵送、FAX、現金決済、対面窓口も残しています。複数の窓口から受け付けた情報を照合し、顧客ごとにまとめて管理する仕組みも必要です。窓口ごとに担当者を置くだけでなく、形式の異なる記録をまとめ、誤りや重複を確認する作業も発生します。
利用者ごとの事情に対応するほど、世界共通の業務手順に統一しにくくなります。AIで定型業務を自動化しても、複雑な案件や代替手段は残ります。人員削減だけを目的にすると、AIへの投資と既存の運用費が重なり、期待した成果が得られません。低価格と規模を武器にする海外企業と競う際には、多数の窓口と例外対応が重い負担になります。
この差は、技術力の有無だけで生じるわけではありません。デジタルの利用を前提にサービスを設計する企業と、デジタルを利用できない人にもサービスを提供し続ける企業では、目標が異なります。デジタルだけに統一すれば費用を下げやすい一方、利用条件を満たせない人はサービスを利用できません。代替手段を残す企業は、幅広い利用者にサービスを提供するために、効率化しても減らせない費用を抱えます。
誰も取り残さない仕組みは、国内の利用者に安心を与える一方、海外市場で価格と展開速度を競う際には不利に働きます。日本企業が海外へ進出する場合、国内と同じように複数の窓口を設けて例外にも対応するのか、進出先に合わせてサービスを標準化するのかを決める必要があります。国内で築いた高い信頼を維持しながら、運用を世界共通の方式に統一するのは容易ではありません。
高いサービス水準が国内市場の防波堤になっている
こうした負担は、海外企業が日本市場へ参入する際には障壁へ変わります。日本語に対応するだけでは足りません。問い合わせへの丁寧な対応、国内で普及している決済手段、既存システムとの連携、書面を含む手続き、利用者の事情に応じた例外対応まで求められます。
世界共通のサービスをそのまま提供すれば、価格が安くても、利用者は問題が起きたときに十分な支援を受けられません。AIの回答で解決できず、担当者にも連絡できなければ、利用者はその企業との契約を避けます。法人向けサービスでは、導入企業だけでなく、その取引先が使う書式や手段にも対応できるかが選定条件になります。
日本企業が長年築いた取引関係、全国の拠点、担当者の知識、過去の対応履歴は、短期間では再現できません。規則に書かれていない事情を理解し、社内の適切な部署へつなぎ、問題が解決するまで対応する力は、日々の業務を通じて蓄積されます。海外企業が同じ水準を目指せば、日本企業と同じように人員と時間を投入しなければなりません。
高い信頼を維持する費用は、国内企業の利益を圧迫し、海外企業との価格差を広げます。その一方で、同じ水準のサービスと支援体制を用意できない企業は、日本市場へ参入しにくくなります。国際競争では弱点になる仕組みが、国内市場では防波堤として働いています。日本市場へ参入する企業は、利用者が当然だと考えるサービス水準を満たすために、同様の負担を引き受けなければなりません。
AIの導入に合わせて受付手段を減らし、利用者を標準的な手順へ押し込めば、この防波堤は低くなります。反対に、担当者による情報検索や応対記録の作成、判断をAIで支援し、負担を抑えながら複数の窓口を維持できれば、高いサービス水準を国内市場での競争力として生かせます。AIに合わせて高信頼社会を作り替えるのではなく、高いサービス水準を将来も維持できるようにAIを使う必要があります。
AIに求められる役割は「信頼の維持」

FAX、現金、行政窓口。日本社会の残るレガシーシステムは、運用する側から見れば非効率です。しかし、端末や通信環境、操作能力にかかわらず、誰もがサービスを利用できる環境を守るには、従来の手段を残す必要があります。通信障害や災害が起きた際に、サービスを止めないための備えにもなります。日本では新しい手段へ全面的に切り替えず、従来の手段も並行して運用するため、自動化がそのまま費用削減へ結び付きません。
AIボイスボットを導入しても有人対応を廃止できなければ、AIと有人窓口の両方に運用費がかかります。そこで、定型的で、誤りが生じても影響が小さい業務はAIに任せ、個別判断を要する相談ではAIで担当者を支援します。AIが生み出した余力を、複雑な相談、例外への対応、利用者への説明に振り向ければ、窓口を減らさずにサービスを維持できます。誰も取り残さない仕組みを壊して費用を下げるのではなく、その仕組みを将来も続けられるようにAIを使う必要があります。
参考文献
OECD Survey on Drivers of Trust in Public Institutions 2026 Results: Japan
