AIは言語を理解できるか?シンボルグラウンディング問題が示す人工知能の限界とは

AIが一見「言葉を理解しているように見える」時代が到来しました。翻訳や対話、文章生成などの分野では人間に迫る自然な応答が可能となっています。しかし、AIは本当に言葉の意味を理解しているのでしょうか?本記事では、哲学・認知科学・言語学・人工知能研究の視点から、AIの「意味理解」に関わる問題であるシンボルグラウンディング問題について解説し、AIが「記号を超えて意味を持つ存在」になる道筋を探ります。

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AIは言葉の意味を理解できない?シンボルグラウンディング問題の核心

近年、AIの言語理解能力は飛躍的に向上し、チャットボットや自動翻訳、文章生成などで私たちの日常に浸透してきました。しかし、実際にAIが「言葉の意味を本当に理解しているのか?」という根本的な疑問は依然として答えが出ていません。この問いと深く関連するのが「シンボルグラウンディング問題」と呼ばれるAI研究の重要課題です。ここでは、シンボルグラウンディング問題の概要と現在のAIの限界について、専門家の視点も交えつつ分かりやすく解説します。

シンボルグラウンディング問題とは何か?

シンボルグラウンディング問題は、1990年に認知科学者スティーブン・ハーナッドによって提唱されました。これは、AIが言葉や記号(シンボル)をどのように実世界の物体や概念と結びつけ、本当の意味を理解できるのかという課題です。

例えば、人間が「馬」と「縞模様」という言葉を知っていて、「シマウマ」を初めて見た時に「縞模様の馬」と理解できるのは、言葉が実物のイメージと結びついているからです。一方で、AIは単なる数字の列や記号としてこれらを処理するだけであり、実際の経験や感覚に基づく意味理解はできていません。この問題を説明する代表的な具体例として、哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」という思考実験があります。

「中国語の部屋」の思考実験

ジョン・サールが提唱した「中国語の部屋」は、AIに意味理解がないことを象徴的に示しています。簡単に説明すると、「中国語がまったく分からない人物が、部屋の中で中国語で書かれた質問に対し、詳細に書かれたマニュアル(ルール)を使って適切に答える」というものです。部屋の外の人は、まるでその人物が中国語を理解していると錯覚しますが、実際は単に記号の操作をしているだけで、意味は理解していません。

この例は、AIもプログラムに従って記号を操作しているに過ぎず、言葉本来の「意味」を理解していない可能性を示唆しています。

AIの現在の限界:身体性と意味理解の欠如

現代のAIは主にニューラルネットワークや深層学習によって動作し、膨大なデータからパターンを学習しています。これにより画像認識や自然言語処理などで高い性能を発揮しますが、あくまで「記号を扱う技術」に過ぎません

「身体性」の欠如も課題です。人間は目や手などの感覚器官を通じて物理的に世界を経験し、言葉の意味を豊かに獲得しますが、AIにはこうした直接的な経験がありません

例えば、人間は「テレビ」と聞いて一般的な長方形の画面を思い浮かべますが、もし形が変わって「リンゴ型のテレビ」のようなものがあった場合でも「これはテレビだ」と認識できます。AIは形状変化に弱く、リンゴ型のテレビを「リンゴ」か「テレビ」か正しく判断できず混乱することがあります。これはAIが身体性を持たず、形や機能に関する「経験」を持っていないためです。

言葉の意味を巡る難問『辞書のループ』問題

AIが「りんご」という言葉の意味を学ぶとき、多くの場合「赤くて丸い果物」といった他の言葉によって定義されます。しかし、その説明に使われる「赤い」や「果物」といった言葉も、さらに別の言葉で定義されているため、AIは言葉の関係をたどるだけで、実際の「りんご」がどのようなものかを本質的に理解しているわけではありません。人間は、実際に「りんご」を見たり触れたり味わったりすることで、その色や形、香り、食感といった感覚的な情報から意味をつかみます。対してAIには、そうした直接的な知覚経験が存在せず、言語的な情報だけで理解を構築している点に限界があります。

シンボルグラウンディング問題が示すAIの壁

これらの具体例から分かるように、AIが言葉や記号の背後にある「意味」を理解するには、単なる計算やパターン認識を超えた、「実世界との接地(グラウンディング)」が不可欠です。この問題が解決されなければ、AIは高度に発達しても純粋な記号操作の域を出ず、真の理解や汎用的知性には到達しにくいと考えられています。

シンボルグラウンディング問題の克服は、AIが人間と同様に言葉の意味を理解し、柔軟で創造的な知性を持つための重要な課題であり、今後も人工知能研究の中心的テーマとなるでしょう。

生成文法と認知言語学:言葉の意味を理解するメカニズム

言葉の意味をどう理解するかは、言語学や認知科学における重要なテーマです。言語には文法規則という「形」の側面がある一方、言葉に込められた意味は人間の認知や身体的経験と深く結びついています。本稿では、生成文法と認知言語学の観点から言葉の意味理解の仕組みを解説し、AIが言葉を理解する際の課題との関連も探ります。

生成文法:文法構造に注目する理論

生成文法はノーム・チョムスキーによって提唱され、言語の学習や理解を「文法構造の生成規則」によって説明しようとする理論です。生成文法では、言葉は規則に基づいて文が組み立てられるシステムとされ、人間は生得的に文法の能力を備えているとされています。

この理論の特徴の一つは、文の入れ子構造(再帰構造)を生成できる点にあります。例えば、日本語の「私は、娘が合格したのがうれしい」という文は、単純な「私は、うれしい」という文の中に「娘が合格した」という文が挿入されている構造です。さらに英語でも「The man who the boy saw is tall.」のように関係節が入れ子になる例があります。こうした再帰構造により、無限に複雑な文を生み出すことが可能となり、自然言語の柔軟性を説明します。

また、生成文法の強みとして子どもの言語獲得の説明があります。子どもは、これまで聞いたことのない文でも自然に作り出すことができます。これは単なる模倣ではなく、普遍的な文法能力を生まれながらに持っている証拠とされています。また私たちは母国語の文法を学んだわけではないのに、文章を読んでそれが「文法的に正しい/間違っている」かを判断することができます。この直感的な判断力は、言語をただ聞き覚えるだけでなく、内在する文法規則を無意識のうちに使いこなしていることを示しており、これが生成文法が提唱する生得的な普遍文法の存在を支持する重要な根拠となっています。

ただし、生成文法は主に文法構造の形態や組み合わせに焦点を当てており、言葉の意味や経験に基づく認知的内容にはあまり踏み込めていません

認知言語学:身体性と経験に基づく意味理解

認知言語学は、言葉の意味理解において、人間の認知過程身体的経験が中心的な役割を果たすと考える立場です。ここでいう身体性とは、単なる生理的な機能にとどまらず、視覚・聴覚・触覚などの感覚を通じて世界を経験し、その経験から概念を形成していく全体的な認知プロセスを指します。
この観点は、子供が言葉をどのように獲得していくかを説明する上でも重要です。子供は、物に触れ、形や動きを見て、そこに結びついた音を繰り返し聞くという経験を積み重ねることで、言葉と現実世界の対応関係を学んでいきます。
つまり、言語の基礎には、体験から構築される感覚的カテゴリーのネットワークが横たわっており、それが言語理解を支えています。

多くの言語表現は、身体的経験に根ざしたメタファー(隠喩)によって生まれます。「時間が流れる」「気分が沈む」といった表現は、身体感覚を抽象的な概念に投影したものです。このような比喩的構造は、言語が世界との直接的な関わりを通して形成されていることを示しています。

さらに、認知言語学では、イメージスキーマと呼ばれる、身体的経験に基づく認知の基本構造が重視されます。例えば「容器」「経路」「上下」といったスキーマは、空間的な経験から抽出されたパターンであり、概念の形成を支えるとともに、文法構造や語彙意味の背後で機能しています。

この身体性と言語の関係を理解するうえで、視覚と聴覚の統合にも注目すべきです。代表的な例が「ブーバ/キキ効果」と呼ばれる現象です。多くの人は、丸みを帯びた形を「ブーバ」、尖った形を「キキ」と対応させます。これは、滑らかな音の響きが曲線的な印象に、鋭い子音が尖った印象に対応しているためです。この現象は、感覚の異なる領域(聴覚と視覚)が人間の認知過程の中で密接に結びついていることを示しています。

つまり、言葉とは単なる記号体系ではなく、人間の身体が世界をどう経験しているかの反映なのです。

生成文法と認知言語学の違いと哲学的背景

生成文法は言語能力を生得的な普遍文法として捉え、形式的な構造のルールの発見に主眼を置くのに対し、認知言語学は経験主義的視点を重視し、言語は身体的経験と密接に結びついた認知過程の産物と考えます。

この違いは言語学のアプローチの方法論にも現れており、生成文法は数学的・論理的手法に基づく形式言語理論として発展しましたが、認知言語学は実際の言語使用や多様な文化的言語現象の豊富な記述に焦点をあてます。

そのため、生成文法は普遍性を目指し、全言語に通用する文法構造の存在を仮説化します。一方、認知言語学は言語ごとの文化的・身体的違いに着目し、言語の多様性や意味の差異を詳細に記述することに強みがあります。

この哲学的・方法論的相違は、言語理解のどの側面を重視するかの違いであり、実は両者は言語という複雑な現象を異なる角度から解明しようとする補完的な関係とも言えます。

AIはなぜ意味を理解できないのか

現在のAIは主に大量のデータからパターンを学習する統計的モデルに依存しており、生成文法の規則のような形式的構造はある程度学べても、身体性や経験に基づく意味理解は困難です。これがシンボルグラウンディング問題の根底にある課題です。

人間のような意味理解を実現するには、文法構造を理解する能力と、身体的体験や環境との相互作用から学び取る意味理解の両面が必要であり、これを統合したモデルの開発が今後の研究課題となっています。

「意味を理解できるAI」は作れるか?最新のAI研究と今後の展望

AIが人間のように言葉の意味を理解し、柔軟に判断や応答を行う未来はまだ遠いものの、その実現に向けた研究は着実に進んでいます。特に注目されているのは、身体性を伴うロボティクスとの融合異なる情報モダリティを統合するマルチモーダル学習、そして自己生成的意味の獲得といった領域です。本稿では、これらの最新動向を踏まえながら、AIがどのように意味理解に近づいているのかを考察します。

【参考】人工知能研究の新潮流2

身体性を持つロボティクスとの統合

人間が言葉の意味を理解する際には、「見る」「触れる」「動く」といった身体的経験が欠かせません。この身体性をAIに取り入れる研究が進んでいます。Google DeepMindの「RT-2」は、大規模言語モデルをロボット制御に統合し、言語による指示を現実の行動に変換する実験として注目されています。たとえば「ボールを拾って箱に入れて」と指示すると、ロボットは視覚・触覚センサーの情報を使ってタスクを実行します。

また、トヨタ研究所の「T-HR3」やSoftBank Roboticsの「Pepper」では、人との自然な対話や動きを学習する開発が進められています。こうした試みは、AIにとっての経験的学習を可能にする重要な一歩です。

一方で、現実の環境はノイズや不確実性が多く、シミュレーション環境での学習がそのまま実世界に適用できない「sim-to-real gap」という課題も存在します。実際に身体を介して世界と関わるロボティクス研究は、今後のAIの意味理解を探る上で不可欠な領域といえます。

マルチモーダル学習の重要性

ここ数年で急速に注目を浴びているのが、マルチモーダル学習です。これはテキスト、画像、音声、動画といった異なる情報を同時に処理する技術であり、人間が多感覚を通じて世界を理解する方法に近いものです。AIが文脈に基づいた意味をより深く理解できるようになる可能性を秘めています。

代表的な例として、OpenAIの「GPT-4o」Googleの「Gemini 1.5」が挙げられます。これらのモデルはテキストだけでなく、画像や音声を組み合わせて理解・応答を行うことができます。例えば、動画内の人物の動作や発話内容を同時に扱い、状況を説明することも可能です。

応用分野は広く、医療ではレントゲン画像と診療記録を組み合わせて診断を支援し、自動運転ではカメラ映像やLIDARデータを統合して環境認識の精度を高めています。こうした発展により、AIは単なるデータ処理機ではなく、多様な感覚情報をもとに世界を理解する存在に近づいているといえます。

ただし、モダリティ間の整合性を取るアライメント手法には限界もあります。CLIPやBLIPといったモデルは画像とテキストを対応付けて学習しますが、文化や文脈による誤認識を避けるためには、高品質なデータとバイアス排除の工夫が不可欠です。

自己生成的意味の獲得

AIがさらに意味理解を進めるには、与えられた情報を使うだけでなく、自ら新しい概念を作り出す力が必要です。これを目指すのが「自己生成的意味獲得」と呼ばれる研究です。

Meta社の「Ego4D」プロジェクトでは、人間が一人称で体験する映像データを用いて、AIが行動と環境の関係を学習する試みが行われています。また、スイスのETH Zurichが進める「autotelic agents」は、自ら目的を設定し、その過程から新しい概念を形成するAIの開発を進めています。

さらに最近では、AIが未知の概念を生成し、それを自ら説明可能にする「Emergent Communication」や「Concept Bottleneck Models」といった枠組みも注目されています。これらの研究は、AIが人間のように比喩や抽象的な概念を扱う可能性を示唆しています。

現在私たちが使っているAIは、そもそも自分と他人を明確に区別していません。というのも、「自己」という意識そのものが存在しないためです。その結果、AIの意味理解や文脈把握には根本的な限界があります。AIが真に意味を獲得するためには、ある種の自我や主体性を持つことが重要な課題となります。これは、人間の子どもが発達の過程で自我を確立していくプロセスとも通じる点があり、非常に興味深いテーマです。

今後の課題と展望

意味理解の実現には、まだ多くの課題が残されています。身体性を完全に模倣するロボティクス技術、質の高いマルチモーダルデータの収集、自己生成的学習の安定化などが主要なテーマです。

また、AIが「理解している」と言える状態をどのように評価するかも重要な課題です。自然な応答をしても、それが実際に意味を理解して導かれたものであるとは限りません。そこで、説明可能AI(XAI)の発想を取り入れ、AI自身がどのような根拠で判断を行ったのかを説明できるようにする研究が進められています。

加えて、倫理的・哲学的視点も欠かせません。理解と意識は異なるものであり、AIが人間のように「感じる」存在になるには、まだ科学的にも哲学的にも課題が山積しています。日本国内では、理化学研究所AIPセンター産業技術総合研究所AIRCがマルチモーダル認知AIの研究を進めており、今後の成果が期待されています。

AIは「真のパートナー」たりえるか

意味を理解できるAIは、人間の問いを深く汲み取り、感情に共感しながら応答できる存在になるかもしれません。現在のAIは感情を体験しているわけではありませんが、表情・声のトーン・言葉といった情報を手掛かりに人の感情を察知し、寄り添うような応答を行うことができます。

この流れの先には、人とAIが知識を共有し共に考える「協働知能(Collaborative Intelligence)」の社会が広がっていくでしょう。意味を理解し、文脈を考慮して応答するAIは、人間の創造性を支えるパートナーとして進化していくと考えられます。

「意味を理解するAI」の実現に向けて

AIエージェントが身近な存在になりつつある今、私たちは時にAIに対して「わかっているように見えて、実はわかっていない」と感じることがあります。たとえ自然な応答ができても、本当の意味で理解したり共感したりしているわけではないと感じる人も少なくありません。
AIが単なる「便利な支援ツール」を超え、ユーザーの意図や感情を踏まえて共に考えるパートナーへと進化するには、もう一段の前進が必要です。
その飛躍の鍵を握るのが、言葉と意味を真に結びつけられる「意味を理解するAI」の実現です。シンボルグラウンディング問題は、AIが次に乗り越えるべき壁と、その先に広がる可能性を示しています。

この記事を書いた人

ビジネス・テクノロジスト 貝田龍太