AI研修を業務改善につなげる!DifyによるRAG構築とAIエージェント開発事例

生成AIのeラーニングを用意し、全従業員にAIアカウントを発行しても、業務の進め方まで変わるとは限りません。本記事では、住宅の水回りに使われるバルブや防水キャップなどを扱う専門商社において、AIレクチャー、資料整理、DifyによるRAG構築、部署横断のAIエージェント開発までを支援した事例を紹介します。研修で学んだ知識を実務で生かし、改善の成果を全社で共有するまでの過程を追います。

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「AIを使える環境」を整えても変わらない業務

E社はAI活用を全社に広げるため、学習環境と利用環境を先に整備しました。しかし、利用状況を詳しく調べると、AIを使う従業員の数だけでは見えない偏りが明らかになりました。文章の作成や確認には使われていても、日々のオペレーションは従来の手順のままだったのです。

eラーニングを修了しても業務で利用されない

E社は全従業員300人を対象に、生成AIの基礎、プロンプトの作り方、情報を入力する際の注意点などを学ぶeラーニングを整備しました。業務で利用できるAIアカウントも発行し、学習後にすぐ試せる環境を用意しました。期間内にeラーニングを修了した従業員は270人で、修了率は90%でした。月に1回以上AIを利用した従業員も180人に達していました。

表面上は順調に見えますが、用途別に確認すると状況は異なりました。AI利用者180人のうち、メール、報告書、議事録の要約、文章の確認に使っていた人は144人で80%でした。これに対し、申請処理や商品問い合わせなどの定型業務に使っていた人は18人で10%にとどまっていました。AIを使う習慣は広がり始めていましたが、利用は1人で完結できる作業に偏っていたのです。

職場のeラーニングを扱った研究では、研修で得た知識や技能を実際の業務で活用することを「学習転移」と呼びます。受講を終えたことと、学習内容が実際の行動に反映されたことは分けて評価しなければなりません。修了率やログイン回数だけを追っていたE社では、AIを使える人が増えたのか、業務を改善できる人が増えたのかを区別できていませんでした。

なぜAIの利用は偏ったのか

文章作成や要約は、AIを試しやすい用途です。利用者自身が入力内容を決め、その場で結果を読み、問題があれば書き直せます。処理が個人の作業範囲に収まるため、他部署との調整や業務ルールの変更も必要ありません。AIの効果も、下書きにかかる時間が短くなるという分かりやすい形で表れます。

一方、E社の商品問い合わせは、1人の判断では完結しません。営業が顧客から質問を受け、営業事務が製品仕様書や対応製品一覧を探し、在庫や納期は購買に、施工方法や不具合は品質管理に確認します。古いバルブに現行の防水キャップを使用できるかという質問では、製品名だけでなく、製造時期、接続部の寸法、使用場所、施工条件まで確認する必要があります。AIに質問を入力するだけでは、この業務全体を効率化できません。

日常業務にAIを組み込むには、入力情報、参照資料、判断条件、例外処理、確認者、出力先を整理する必要があります。AIの操作方法を学ぶことと、業務を分解して処理の流れを設計することは別の課題です。E社のeラーニングでは操作方法を学べましたが、実際の業務をどう組み替えるかまでは扱っていませんでした。

意識改革と制度活用を阻む「合理化の罠」

E社では、AIを使わない従業員の意識を変える必要があるという意見も出ました。しかし、活用が進まない原因を意欲の不足だけに求めると、会社側の課題を見落とします。eラーニングとAIアカウントが用意されていても、改善案をどこへ出すのか、試作に業務時間を使ってよいのか、誰が公開を承認するのかが決まっていませんでした。制度を用意しても、日々の業務と結びつける手順がなければ利用は広がりません。

もう1つの問題が、合理化の罠です。従業員から見れば、時間をかけて業務を改善しても、空いた時間に別の仕事を割り当てられるだけなら、改善に協力する利点がありません。処理時間の削減が人員削減や目標の引き上げにだけ使われるという警戒があれば、効果の大きい改善案ほど表に出にくくなります。これはAIへの抵抗感ではなく、合理化で得られた成果を従業員にどう還元するかという問題です。利用率を個人や部署の評価に安易に結びつけることも、活用をゆがめます。AIを使った回数が多いほど高く評価されるなら、必要性の低い作業でも利用回数だけを増やす人が出てきます。反対に、改善によって作業そのものをなくした部署は、利用回数では成果を示せません。E社には、AIを何回使ったかではなく、不要な作業をどれだけ減らし、業務の品質がどう変わったかを評価する視点が欠けていました。

OECDが日本の労働市場を分析した報告書では、新技術を導入する際に会社から意見を求められたと答えたAI利用者は42%で、調査対象の8か国中最も低い結果でした。同報告書は、従業員との話し合いが業務成果や労働環境に良い結果をもたらす可能性を指摘しています。E社にも、AIを使うよう求める前に、何のために効率化するのか、削減した時間をどう使うのかを話し合う場が必要でした。

実務に結びつくDify研修

E社から相談を受けた私たちは、既存のeラーニングを別の研修に置き換えるのではなく、不足していた内容を補う方針を取りました。受講率を上げるのではなく、従業員が学んだ知識を実際の業務で使えるようにすることが支援の目的です。

AIが実務でどう使われているか

最初に行ったのは、部門別、業務別、利用目的別の現状確認です。AIを使った経験の有無だけでなく、どの作業に使ったのか、なぜ別の作業では使わなかったのか、結果を誰が確認したのかまで聞き取りました。営業ではメールと提案文の作成、総務では社内通知の下書き、品質管理では報告書の文章確認に利用が集中していました。複数人が関わる業務や、業務上の判断を伴う業務には、ほとんど使われていませんでした。

調査では、AIの知識不足とは別の問題も見つかりました。製品資料が複数の共有フォルダに分かれ、同じ型番について新旧の仕様書が残っていました。問い合わせ記録も担当者ごとに保存方法が異なり、正式な回答と作業中のメモを区別できません。AIで資料を探せるようにする前に、どの資料を正しい情報として扱うか決める必要がありました。

私たちはE社の業務の流れを、入力、参照資料、判断、処理、確認、出力の6つに分けました。処理量が多く、手順と使用資料が定まっており、AIが誤っても社外へ回答する前に担当者が修正できる業務を最初の対象としました。契約条件の決定や施工可否の最終判断など、誤った場合の影響が大きい業務は自動化の対象から外しました。

業務を分解するためのAIレクチャー

追加のAIレクチャーには、営業、営業事務、購買、品質管理、総務、情報システムから担当者が参加しました。一般的なプロンプト例を紹介するのではなく、参加者が普段行っている仕事を題材にしました。例えば商品問い合わせでは、顧客から受け取る情報、回答に必要な資料、別部門へ確認する条件、回答前に必要な承認を順番に書き出します。

この作業によって、AIに任せられる部分が明確になりました。問い合わせ内容の分類、関連資料の検索、回答案の作成はAIで支援できます。製品仕様書に記載がない使用方法の判断や、重大な不具合に関する回答には、品質管理部門の確認が必要です。AIを使うか使わないかを業務単位で決めるのではなく、1つの業務の中でAIと担当者の役割を分けました。

レクチャーでは、改善案を出した担当者に新たな管理作業が集中しないよう、運用上の役割分担も決めました。業務担当者は判断条件の整理と出力結果の評価を担い、情報システム部門は権限と公開範囲を管理し、資料を所管する部門は内容を更新します。役割を分けることで、AIに詳しい担当者に設計、運用、問い合わせ対応をすべて任せる状態を避けました。

資料を整理してDRAGを構築する

RAGの対象には、製品仕様書、商品カタログ、対応製品一覧、施工・取扱説明書、品質管理資料、過去の問い合わせ記録を選びました。文書ごとに、現行の正式版であるか、いつ更新されたか、どの部門が管理しているか、どの製品に関するものか、誰に公開できるかを確認しました。そのうえで、旧版と重複資料を除外し、内容を確認できない文書もRAGの検索対象から外しました。

整理した資料は、Difyのナレッジベースに登録しました。RAGはAIモデル自体にE社の情報を再学習させる仕組みではありません。利用者から質問を受けると関連文書を検索し、その内容を回答作成の参考情報としてAIに渡します。Difyでは、文書を検索しやすい長さに分割した「チャンク」の管理、メタデータによる絞り込み、想定質問を使った検索テストができます。E社では製品分類、管理部門、更新日をメタデータとして付与し、関係のない製品資料が検索結果に混ざりにくくしました。

旧版の資料は削除せず、過去の製品に関する問い合わせで参照できるよう、現行資料とは分けて管理しました。現行品の検索結果に旧仕様が混ざらないよう、販売期間と現行・旧版の区分をメタデータとして登録しました。資料を減らすのではなく、質問に応じて参照する範囲を分けることが整理の目的です。

実務で検索結果を評価する

Dify研修では、完成済みのアプリを操作するだけでなく、参加者自身が検索結果を評価しました。「旧型バルブに対応する防水キャップはどれか」「屋外配管で使用する場合の注意点は何か」など、実際の業務で寄せられる質問を使いました。正しい資料が検索されたか、回答が資料の範囲を超えていないか、資料だけでは回答できない質問に対して確認先を示せたかを確かめました。検索に失敗した場合は、プロンプトだけで直そうとせず、登録した資料の構成やメタデータも見直しました。

モデル試算では、E社で商品情報を調べる作業が月400件あり、1件平均15分、合計100時間かかっていました。このうち260件を、RAGを使って担当部門へ問い合わせずに解決できたとします。残る140件を従来どおり確認すると35時間です。ナレッジベースの更新に月12時間を見込むと合計47時間となり、月53時間、53%の削減になります。資料の更新時間も含めることで、検索時間だけを基に効果を過大評価しないようにしました。

部署の壁を越える

RAGによって商品情報を探しやすくなっても、部署をまたぐ業務が自動的に改善されるわけではありません。E社はDify研修の参加者を中心に、営業、購買、品質管理、情報システムが共同でAIエージェントを試作しました。各部署が別々にAIを使うだけでなく、部署をまたぐ業務全体を共同で設計する取り組みです。

商品問い合わせを横断的に処理する

最初の対象は、顧客からの商品問い合わせです。AIエージェントは入力された質問を、仕様、施工方法、品質、在庫・納期などに分類します。仕様や取扱方法に関する質問では、RAGで製品仕様書や施工説明書を検索し、参照資料と回答案を提示します。資料だけでは判断できない場合は、回答を推測で補わず、確認が必要な部署と不足している情報を示します。

品質や施工可否に関わる回答はAIだけで確定させず、担当者による確認を必須としました。Difyのワークフローを途中で停止し、品質管理担当者が内容を確認してから次へ進むようにします。在庫や納期についても、初期段階では基幹システムに自動で書き込まず、購買部門に確認すべき内容を整理するところまでに限定しました。機能上、自動化できるかどうかではなく、誤った場合の影響を基準に範囲を決めています。

このAIエージェントによって、営業が同じ内容を複数の部署へ繰り返し問い合わせる回数を減らせます。購買部門や品質管理部門も、問い合わせの背景と必要な確認事項が整理された状態で依頼を受けられます。AIがすべての部署の仕事を代行するのではなく、部署間で情報を受け渡す際の抜けや重複を減らします。

市民開発では業務担当者が構想と評価を担う

Difyは画面上で処理を組み合わせられるため、プログラムを一から書く場合より試作のハードルを下げられます。ただし、ローコードで作れることと、業務知識がなくても開発できることは同じではありません。どの資料を正式な情報源とするか、どの条件で品質管理部門へ回すか、どこで処理を止めるかは、実務に詳しい担当者でなければ決められません。

E社の市民開発では、業務担当者が業務全体の構想、判断条件と例外処理の整理、評価用データの作成を担当しました。私たちは業務フローの整理と試作を支援し、情報システム部門はDify上の権限と公開範囲を管理しました。アプリを作成・編集できる人と、公開済みのアプリを利用する人を分け、試作品が無断で全社公開されないようにしています。

公開後は実行ログを確認し、どの質問で検索に失敗したか、どの回答を担当者が修正したかを調べます。管理責任者、使用資料、対象利用者、確認者、利用停止条件もアプリごとに記録しました。市民開発は各部署に開発責任を押し付ける施策ではなく、業務担当者の知識と専門担当者の技術を組み合わせる体制です。

部署の取り組みを全社に発信する

「合理化の罠」を根本的に解消するには、業務改善の成果を給与や賞与に反映するインセンティブ設計が必要です。ただし、報酬制度の変更は経営判断であり、個別の業務改善を支援するコンサルタントだけでは決められません。そこで今回の支援では、各部署の取り組みと成果を社内に埋もれさせず、全社に発信する仕組みを整えました。

E社は社内サイトにAI活用事例を登録するページを設け、対象業務、従来の課題、使用資料、担当者による確認が必要な箇所、削減時間、うまくいかなかった点を掲載しました。月1回の共有会では、完成したアプリの紹介だけでなく、試作を中止した理由や、別部署でも再利用できる処理を説明します。改善に参加した担当者と部署を明記し、その貢献が全社に伝わるようにしました。

事例の登録と更新を担当者の自主性だけに任せると、繁忙期に止まってしまいます。各アプリの管理責任者が四半期ごとに利用状況と変更点を更新し、情報システム部門が公開範囲と稼働状況を確認する運用も定めました。

改善効果を部署横断で評価する

この仕組みには、組織の罠を防ぐ役割もあります。各部署が自部署の目標と予算だけを見てAIを導入すると、同じようなアプリが部署ごとに作られ、他部署への確認作業がかえって増えることがあります。取り組みを全社で共有すれば、営業部門が作った分類処理を購買部門でも利用するなど、部署を越えて再利用できます。部門内の削減時間だけでなく、部署間の問い合わせ回数や差し戻し件数も共通の評価対象にしました。

本件では8人の参加者が3件のアプリを試作し、商品問い合わせ支援と購買申請分類の2件を本番運用に移行しました。結果は次のとおりです。

  • 購買申請の分類:月160件、1件15分の合計40時間から、1件6分の合計16時間へ減少した。
  • 商品問い合わせ支援のうち品質関連の一次分類:月120件、1件10分の合計20時間から、1件4分の合計8時間へ減少した。
  • 2業務の合計:月60時間から24時間となり、36時間、60%を削減できた。

AI活用を業務負荷で終わらせないために

eラーニングとAIアカウントを用意しても、AIの利用が文章作成から業務改善へ自然に広がるわけではありません。実務に使える資料を整理し、業務を分解し、担当者が確認・判断する工程を決める必要があります。部署横断の業務では、各部署が持つ資料と判断基準を持ち寄り、全体の流れを設計しなければなりません。

合理化の罠を乗り越えるには、削減した時間を新しい仕事で埋めるだけでなく、改善に貢献した従業員に成果を還元する制度が必要です。業務効率化への貢献を人事評価に組み込み、給与や賞与に反映するインセンティブ設計は、経営側が検討すべき課題です。それと並行して、各部署の取り組みを全社に発信し、改善を担った従業員と部署が社内で正当に評価される仕組みを整える必要があります。

自部署の目標達成だけを目的にAIを使えば、部門内の効率は上がっても、部署間の連携が弱くなる組織の罠に陥ります。削減時間だけでなく、部署間の問い合わせ回数、差し戻し件数、回答品質、他部署での再利用まで共通の指標として評価することが重要です。AI活用を、従業員の仕事を増やすだけの施策にしてはいけません。改善の成果を誰にどう還元し、組織全体でどう共有するかまで決めて、初めて継続的な業務改革になります。

参考文献

Transfer of workplace e-learning: A systematic literature review

Artificial Intelligence and the Labour Market in Japan

この記事を書いた人

ビジネス・テクノロジスト 貝田龍太