
変化が激しい現代のビジネス環境では、マネジメントに従来型の「指示と従属」だけを求めても限界があります。組織が持続的な成長を遂げるためには、社員一人ひとりの主体性を引き出し、協働を促す仕組みが必要です。コーチングはその答えのひとつとして注目され、単なる指導方法ではなく「対話を通じて考える力を育てる仕組み」として広がりました。本稿では、コーチングの定義や背景、実践のポイントを整理するとともに、組織におけるコーチングのあり方について考えます。
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組織におけるコーチングとは
組織におけるコーチングとは、上司やリーダーが一方的に指導するのではなく、対話を通じてメンバーが自分で課題や目標を見つけ、解決策を考えられるように支援する方法です。外から答えを与えるのではなく、本人が持っている力や可能性を引き出す点が特徴です。この手法を取り入れることで、一人ひとりの力が組織全体の成果につながります。
コーチングの定義と基本概念
コーチングは「答えは相手の中にある」という前提で行われるコミュニケーションです。問いかけや傾聴によって本人の思考を整理し、行動を促します。例えば「どうすればうまく進むと思いますか」といった問いが、それにあたります。コーチングの基本は、信頼関係を土台にして自律的な行動を引き出すことです。
ここで欠かせないのが「心理的安全性」です。これは失敗や意見の違いを口にしても否定されない安心感を指します。心理的安全性が確保されているときに、コーチングが効果を発揮します。
コーチングとティーチングの違い
ティーチングは知識やスキルを伝える教育方法です。新しい業務の手順やシステム操作を学ばせる場面には適しています。
一方、コーチングは本人が考え、解決方法を見つけるプロセスを支えます。
- ティーチング:短期間で知識を身につけられる。やり方を効率的に学べる。
- コーチング:時間はかかるが、自分で考える力や自立心を育てられる。
違いは「知識を与えるか」「考える力を引き出すか」という点にあります。 現場では状況に応じて両方を使い分けることが重要です。
コーチングの登場
コーチングが注目され始めたのは、従来の指導法だけでは個人や組織の力を引き出しきれないことが分かってきたためです。一方向的な指示や効率ばかりを追う管理では、社員が自律的に動きづらく、創造性も伸びにくいという限界がありました。
この考えを体系化したのは、テニスコーチだったティモシー・ガルウェイ(Timothy Gallwey)です。1974年の著書『インナーゲーム(The Inner Game of Tennis)』で「人の最大の障害は外部ではなく自分の中にある」と指摘しました。この考え方が広がり、対話によって本人の力を引き出す手法として「コーチング」が発展しました。
1980年代から90年代にかけて、ビジネスにも取り入れられ、企業研修やリーダー育成の方法として広まりました。1995年には国際コーチング連盟(International Coaching Federation, ICF)が設立され、コーチングは経営や人材育成の分野でも定着していきました。
コーチングは、変化が大きい時代に求められた人材育成の方法として登場し、経営や組織づくりの基盤のひとつとなりました。
従来のマネジメントスタイルとの違い
これまでのマネジメントは「指示を出し、従わせる」やり方が中心でした。効率的ではありますが、変化の大きな環境には柔軟に対応しにくく、社員は受け身になりがちです。
コーチング型のマネジメントでは、リーダーは答えを示すのではなく、部下が自分で考えられるように支援します。これにより、短期的な効率だけではなく、長期にわたる成長や組織の競争力が強まります。 こうした環境では現場から新しい提案や改善も生まれやすくなります。
コーチングがもたらす組織力向上の効果
従業員の自律性とモチベーション向上
コーチングを受けることで社員は「自分で考え、自分で選んだ」という感覚を持てます。これは押しつけられた仕事よりも大きなやりがいになるため、モチベーションの向上につながります。さらに、自分で決めた行動には責任が伴うため、仕事への主体性も強まります。こうした積み重ねが、組織全体の成果を押し上げます。
チームワークとコミュニケーションの活性化
コーチングは、話をよく聴く傾聴や、考えを深める質問を通じて、日常のやり取りに新しいスタイルを根づかせます。その結果、メンバー同士がお互いの意見を尊重できる雰囲気が整います。心理的安全性が高まれば、意見の衝突も前向きな議論として扱えるようになり、協力関係はより強くなります。結果的にコミュニケーションの質が上がり、チームの力が向上します。
組織文化としてのコーチングカルチャー
コーチングは一時的な施策ではなく、日常的な文化として根づかせることが大切です。日々の場面で「問いかける」「承認する」「振り返る」といった行動が習慣化されれば、会議や評価の方法そのものも変わります。コーチングが文化として根づいた組織は、成長を続けるための基盤を持つことになります。

ケーススタディ:中堅イベント企画会社の場合

労働人口の減少や採用市場での競争激化により、企業は「人材をどう確保し、定着させるか」という課題に直面しています。中堅企業は大手のような資金力や知名度が十分ではないため、一人ひとりが安心して働ける職場づくりや人材育成の工夫が求められます。ここで紹介するイベント企画会社も同じ問題を抱えていました。短納期案件に追われる中で社員が疲弊し離職が増えていた状況を、コーチング導入によって大きく変えることができました。
課題の背景
中堅規模のイベント企画会社であるC社は数週間から1カ月程度で準備する大型イベントを多く抱えており、社員は常にプレッシャーの下で仕事をする状態でした。その結果、特に若手社員が疲弊し、数年で辞めてしまうケースが相次いでいました。
具体的には以下のような課題がありました。
- 繁忙期には残業が常態化し、不満が高まっていた
- 若手は意見や提案を出す機会が少なく、受け身になっていた
- 社員の入れ替わりが多く、知識や経験が社内に蓄積されにくかった
経営層は、単なる残業削減や待遇改善では根本解決にならないと痛感しました。社員の主体性を引き出し、安心して意見を出せる文化をつくることが必要だと判断しました。
コーチングとの出会い
そこで導入されたのがコーチングでした。外部の専門家を招いた管理職研修では、従来の指示命令型マネジメントの限界を見直す議論が行われました。
研修の場で、管理職の一人はこう語りました。
「今までは“部下に答えを示すほうが早い”と思っていました。でもそれでは部下が育たないと気づきました。」
別の参加者は次のように振り返りました。
「若手が意見を言わなかったのは、やる気がないからではなく、話しても受け止めてもらえないと感じていたからだと痛感しました。」
こうした気づきを経て、管理職の中に『これからは部下と一緒に考え、育てていかなければならない』という共通認識が広がりました。
現場で始まった研修と1on1
研修後、管理職はコーチングの基本スキルを日常業務に取り入れ、月に2回の1on1面談を実施するようになりました。重要だったのは、単なる進捗確認ではなく「本人に考えさせる場」にすることです。
例えば、ある日の面談で以下のような会話がありました。
上司:「最近の案件で苦労したところはどこだった?」
部下:「提案の意見を出す前に進行が固まってしまって、発言の機会を逃しました。」
上司:「次に同じ状況になったら、どんな対応ができそう?」
部下:「初期の段階で小さな意見でも出せる場を、自分から作ってみたいです。」
このように、問いかけを通じて社員が自分自身の答えを探す会話が根づき始めました。社員は“やらされる側”から“自ら考える側”へ意識を変えていきました。
社内の雰囲気の変化
1on1面談を続けるうちに、社内の空気は少しずつ変わっていきました。以前は「会議で黙っている若手が多い」と言われていましたが、導入から数か月後には、若手が率直にアイデアを出す場面が増えました。例えば、入社2年目の社員が企画の方向性に疑問を呈し、それが議論のきっかけとなってより良い案につながる場面も生まれました。
また、部署を超えた相談や情報共有も自然と行われるようになり、以前は「他部門のことは口出ししにくい」と感じていた社員同士も、互いに助言し合う関係に変わりました。管理職の姿勢も「指示する人」から「支える人」へと変化し、社員に安心感が広がったのです。
ある若手社員はこう語りました。
「以前は“上司の答えを当てること”が正解だと思っていました。今は“自分の意見が尊重される”と感じられるので、責任を持って仕事に取り組めます。」
雰囲気の変化は日常業務や制度にも影響しました。会議は一方通行ではなく、全員が意見を出すスタイルに変わり、議論の質が向上しました。人事評価制度も見直され、数値的な成果だけでなく主体性や協働の姿勢も評価項目に加えられました。
加えて、管理職の意識にも変化がありました。これまでは「成果を出させること」が最優先でしたが、現在では「部下の成長を支えること」に重点が移っています。この意識転換が社員のやる気を引き出し、組織の安定につながりました。
持続可能なコーチング文化の構築へ
今回の取り組みによって、若手が自発的に意見を出すようになり、部署間の距離も縮まりました。管理職の間では支援を主とする姿勢が定着し、社内は以前よりも安心感のある職場に変わりました。
現在、C社では離職を未然に防ぐための仕組みを強化し、コーチングを基盤とした制度化や採用後の研修プログラムへの応用を検討しています。
C社の事例は、コーチングが単なる技術ではなく、職場の雰囲気や制度、人材育成の在り方を変えるきっかけとなり得ることを示しています。
ケーススタディから学ぶ:最適なコーチングの実践法とは
C社の事例では、管理職と若手が定期的な対話を行い、日常の業務場面を学びの機会として活用することで組織文化が変化していきました。こうした取り組みを再現するには「スキルの習得」「プログラム設計」「実践的な評価方法」が欠かせません。ここでは、現場で実際に役立つ形でのコーチングの実践法を整理します。
コーチングスキルを身につけるためのステップ
コーチングの効果を出すには、単発の研修に頼るだけでは不十分です。理解・実践・振り返り・組織的定着という流れを経てはじめて文化に根づきます。
理論やフレームワークの理解
コーチングの全体像を知ることから始めます。代表的な枠組みとしてGROWモデルがあります。これは「Goal(目標)」「Reality(現状)」「Options(選択肢)」「Will(意思)」という4つの観点から対話を構成し、本人に答えを導かせる方法です。このようなフレームを知ると、会話の進め方に一貫性が生まれます。
小さく実践する
座学で学んだだけでは「できる」状態にはなりません。最初は1on1面談や短い振り返り対話など、小規模な場面で使ってみることが推奨されます。大切なのは完全にうまく進めることではなく、試行の中で気づきを得ることです。
フィードバックを受ける
コーチングは対話のスタイルが習慣的に身につく必要があります。そのため、上司や同僚、場合によっては外部講師に観察してもらいフィードバックを受け、改善するサイクルが必要です。自分では「聴いているつもり」でも実際には遮ってしまっている――そうした盲点が指摘を通じて見えてきます。
組織全体で定着させる
個人レベルを超えて、部門横断の研修やロールプレイを定期的に行う仕組みを作ります。組織ぐるみの実施が、文化として根づかせる最後のステップです。
効果的な対話技術(傾聴、承認、質問)
コーチングの三本柱となるのが「傾聴」「承認」「質問」です。これらは技術というよりも姿勢そのものであり、日々の会話に取り入れることで効果を発揮します。
- 傾聴:相手の話を遮らず、言葉の背後にある感情や意図をくみ取る意識が求められます。うなずきや短い相づちだけでなく、相手の言葉を要約して返す「リフレクション」を用いると、より深く理解していることが伝わります。
- 承認:結果だけを評価するのではなく、努力や成長のプロセスそのものを認めることでモチベーションは大きく変わります。例えば「資料を仕上げたから評価する」のではなく、「時間が限られる中で工夫した姿勢がよかった」と具体的に言葉にすることです。
- 質問:コーチングで重要なのは「本人が考えを広げる」ことです。「あなたならどう考える?」「他に選択肢はある?」といったオープンクエスチョンを使うことで、思考の幅を引き出せます。逆に「〜したのか?」というクローズドな質問は、必要最小限に抑えるのが効果的です。
コーチングプログラムの設計と実施
スキルを個人任せにするのではなく、組織全体で一貫性のあるプログラムを組むことが成果につながります。
導入初期は管理職層に焦点を当て、マネジメントのあり方を変えるところから着手したほうが効果的です。管理職が「支援型リーダーシップ」を実践できるようになると、次第に日々のやり取りを通じて部下にも自然に広がっていきます。
その後、研修の範囲を若手社員にも広げ、社内のロールプレイや模擬1on1を取り入れると定着が加速します。プログラムは部署ごとの課題に合わせて柔軟に設計することが望ましく、営業チームには「目標設定の対話」、企画チームには「アイデアを深める問いかけ」など、特性に応じたアプローチが導入されます。
フィードバックと評価方法
コーチングの効果は、単に「研修をやった」で終わりでは測れません。定性的な変化と定量的な指標の両方から確認する必要があります。
- アンケートやインタビューを通じて社員がどの程度「意見を出しやすい」「成長を実感している」と感じているかを把握する
- 1on1面談の実施率や継続率を追跡し、実際に職場で使われているかを確認する
- 業務改善提案の数や部署間の情報共有の頻度など、具体的な行動の変化を記録する
数値に偏ることなく、社員の体験や感覚を重視することが大切です。なぜなら、コーチングは「会話の質の変化」が成果につながるからです。
コーチングを効果的に職場へ根づかせるには、段階を踏んだスキル習得と、日常の会話に応用できる具体的技術、そして組織的な制度化が必要です。大切なのは、研修や会議の場だけでなく、日常のちょっとした対話の中でも「聴く・認める・問いかける」を繰り返すことです。
こうした実践が積み重なることで、社員一人ひとりが主体的に動く職場へと変わり、長期的には企業の安定した成長基盤となります。
コーチングを組織づくりの礎に

コーチングは知識を一方的に伝えるのではなく、対話によって本人の力を引き出す手法です。その本質は「心理的安全性」を基盤とし、傾聴や承認、問いかけを通じて相手の主体性を育てることにあります。C社では若手社員が意見を出せる雰囲気が生まれ、管理職の意識も「答えを出す」から「一緒に考える」へと変わりました。組織文化が変化するにつれ、協働や対話のスタイルが根づき、離職を未然に防ぐ働きにもつながります。コーチングは単なる教育手法ではなく、人と組織を同時に成長させるための文化づくりの鍵となる取り組みです。
