営業とマーケティングにはなぜ溝が生じるのか?「良い顧客」とは何かを考える

営業部門とマーケティング部門の連携は、多くの企業で長年の課題となっています。同じ売上という目標を追いかけているはずなのに、なぜか両者の間には深い溝が生まれてしまいがちです。本記事では、その根本的な原因が「良い顧客」に対する定義のズレにあることを解き明かします。それぞれの視点や評価基準の違いを整理し、個別顧客の具体性と市場全体の傾向をどのように融合させていくべきか、具体的な解決策を提示します。

【関連記事】マーケティングとは「信頼の設計」である:厳しい局面で一貫すべき思想とは

「良い顧客」の違いが営業とマーケティングを分断する

営業部門とマーケティング部門が対立する背景には、担当者の相性やコミュニケーションの不足だけではない、構造的な問題が存在します。それは、両者が異なる基準で顧客を評価しているという点です。本章では、それぞれの役割における「良い顧客」の定義を浮き彫りにし、そのズレがなぜ生まれるのかを解説します。

営業にとっての「良い顧客」

営業部門の担当者にとって、日々追い求める「良い顧客」には明確な基準があります。それは、近い将来に自社の製品やサービスを契約してくれる、つまり現在の案件として成立しやすい顧客です。具体的には、自社が解決できる明確な課題を抱えていること、十分な予算を確保していること、実際に購入を決定できる決裁者に接触できていること、そして導入の時期が数ヶ月以内と近いことなどが条件です。

営業担当者は、四半期や月次といった限られた時間枠の中で、売上目標を達成しなければなりません。不確実な顧客に時間を費やすよりも、受注確度が高い顧客に対して優先的にアプローチを行うのは、組織の成果を最大化するための合理的な判断です。営業活動における顧客理解は、常に目の前の「個別性」と「現在性」という2つの軸を中心に組み立てられています。顧客が今まさに直面している独自の事情に深く寄り添い、それを解決することに全力を注ぐのが営業の役割です。

マーケティングにとっての「良い顧客」

一方で、マーケティング部門が定義する「良い顧客」は、営業部門の視点とは大きく異なります。マーケティングにおける理想的な顧客とは、展開する様々な施策に対して良好な反応を示し、ある程度のまとまった市場規模を持ち、今後も継続的に獲得できる顧客の集団を指します。企業のWebサイトに何度もアクセスしている、特定の製品資料をダウンロードした、配信されたメールを開封している、あるいはセミナーに参加したといった、一連の行動データに基づいて顧客の関心度を評価します。

マーケティング担当者は、一人ひとりの顧客を個別に観察するのではなく、特定の共通点を持つセグメントや、市場全体という大きな塊として顧客を捉える傾向があります。そこでの関心事は、どのようなメッセージが多くの人々に響くのか、将来的に自社のファンになってくれる層がどこに存在するのかという点です。こうした背景から、マーケティングの顧客理解は、個別の事情よりも「共通性」と「将来性」を重視する形で組み立てられていきます。

顧客を見る位置と時間軸のズレ

両部門の「良い顧客」に対する認識の違いを整理すると、営業部門は「今、誰が買うか」という足元の動きを注視しており、マーケティング部門は「どのような人々が、なぜ反応するのか」という全体の傾向と背景を探っていると言えます。営業は顧客のすぐ近くに立ち、現在の状況を虫眼鏡で覗き込むように見ています。対するマーケティングは、少し離れた高い場所から、市場全体の動きを望遠鏡で俯瞰するように見ているのが実態です。

ここで重要なのは、どちらの視点が正しく、どちらかが間違っているという話ではない点です。営業の近距離的なアプローチも、マーケティングの広範なアプローチも、ビジネスを成立させるためには欠かせない要素です。単に顧客を観察している位置と時間軸が異なっているに過ぎません。しかし、この立ち位置の違いを互いに認識できていないことが、組織内の様々な摩擦を生み出す原因となります。

「リードの引き渡し」で表面化するズレ

この顧客認識のズレが最も先鋭化して現れるのが、マーケティング部門から営業部門へと見込み顧客(リード)の情報を引き渡す瞬間です。マーケティング部門は、Webサイトでの行動スコアが一定の基準を超えた顧客を有望なリードと判断し、営業へ引き渡します。しかし、情報を受け取った営業部門は、その顧客が予算を確保しているか、具体的な導入時期が決まっているかといった条件が不明確な場合、それをすぐに動くべき案件としては評価しません。

ここで現場には不協和音が生じます。マーケティング側は「せっかく獲得した見込み顧客を営業が追ってくれない」と不満を抱き、営業側は「実際の商談に繋がらない質の低いリードばかりを渡されて困る」と受け止めます。よくある現場の失敗例として、マーケティングが開催したオンラインセミナーの参加者リストを営業に渡したものの、営業が一件ずつ電話をかけた結果、大半が「ただの情報収集で購入の予定はない」と断られ、最終的に営業がそのリストを放置してしまうシチュエーションがあります。このようなすれ違いは、多くの企業で日常的に繰り返されています。

評価指標(KPI)で部分最適に陥る

このような分断が起きる背景には、両部門が追いかけている重要業績評価指標(KPI)の違いが挙げられます。マーケティング部門は、獲得したリードの総数や、一定の基準を満たしたマーケティング適合リード(MQL)の数を自らの目標とすることが一般的です。これにより、施策への反応数を増やす行動にインセンティブが働きます。一方で、営業部門は商談の成立数や最終的な受注額、売上目標の達成度を厳しく追及されます。効率よく受注に至る案件だけを絞り込みたいという心理が働くのは自然な流れです。

評価指標が異なることのさらに手前には、そもそも「自社にとっての良い顧客とは誰か」という共通の定義が存在しないという本質的な課題があります。お互いの部門が、自らに与えられた役割と評価指標に従って合理的に行動した結果、同じ顧客に対して全く異なる判断を下してしまう構造ができあがっています。これを担当者個人の熱意やコミュニケーションの頻度といった精神論だけで解決することは不可能です。

「対立」から「相互補完」へ

営業部門が日々の商談の中で手に入れる個別顧客の具体的な声や課題感は、非常に貴重な情報です。マーケティング部門が大量のデータから導き出す市場全体のトレンドや顧客行動の共通性も、次の成長戦略を描くために不可欠な知見です。これらは本来対立する性質のものではなく、お互いの弱点を補い合うための相補的な関係にあります。

営業の持つ現場の具体性と、マーケティングの持つ市場の抽象性を切り離してしまうのではなく、両者をいかにして結びつけるかが重要です。同じ一人の顧客を見つめながら、異なる角度から得られた情報を融合させることができれば、組織としての顧客理解は格段に深まります。次章では、この個別顧客の視点と市場全体の視点を柔軟に往復するための、具体的なアプローチについて詳しく見ていきます。

【参考】Ending the War Between Sales and Marketing

個別の顧客と市場を往復する眼

営業部門とマーケティング部門のどちらか一方の視点だけでは、顧客の全体像を捉えることはできません。営業現場が掴んでいる個別の具体性と、マーケティングが握っている市場全体の共通性。これら2つの視点を組織として柔軟に往復させる「俯瞰的視点」を持つことが、顧客理解を深めるための鍵となります。

「生の声」は現場でしか聞けない

営業担当者は、日々の商談や商談の合間の雑談、日常的な情報交換の接点を通じて、顧客に関する極めて濃密な情報を獲得しています。これらの情報は、企業のデータベースやアクセス解析のツールをいくら眺めていても決して表面化することのない、貴重な事実ばかりです。例えば、顧客が組織の内部で本当に抱えている深刻な事情、社内における複雑な意思決定の力学、他部門のキーパーソンから上がっている導入への根強い反対意見などは、営業担当者が顧客と直接向き合い、信頼関係を築く中で初めて引き出せるものです。さらに、競合製品と自社製品を実際に天秤にかけた際のリアルな評価、当期の予算化における具体的な障壁、さらには窓口となっている担当者個人が抱く「もし導入に失敗したら自分の社内評価が下がるかもしれない」という潜在的な不安まで、営業は生々しく把握しています。

こうした強みを持つ一方で、営業担当者が接触できる顧客の範囲には物理的な限界があるという点も忘れてはなりません。営業が接しているのは、あくまで自社との商談という具体的な段階に進むことができた、市場全体の中のごく一部の顧客に限定されています。そのため、現場で得られた個別の成功体験や手痛い失注の経験を、そのまま市場全体の普遍的な傾向であると思い込んでしまうと危険な罠に陥ることがあります。例えば、直近で価格を理由に連続で失注した営業担当者が「今の市場はどの企業も価格の安さしか見ていない」と過度に一般化してしまったり、特定の顧客から絶賛された機能について「この機能さえ実装すれば他社にも確実に売れるはずだ」と盲信してしまったりするケースが挙げられます。個別の具体性に深く入り込みすぎるがゆえに、視野が狭くなってしまう可能性を常に孕んでいます。

マーケティングデータとその死角

一方で、マーケティング部門は、営業現場の人間が見ることのできないマクロなデータを保持しています。何百、何千という多数の顧客がデジタル空間でどのような動きを見せているのかを横断的に比較し、どの業界や企業規模の属性が自社の施策に強く反応しているのかを精緻に把握することができます。また、自社サイトのどのコンテンツが熟読されているのか、どの検討段階で多くの顧客が離脱してしまっているのかを数値として可視化できる点も大きな強みです。

しかし、こうしたクリックやページの閲覧、資料のダウンロードといった表面的な行動データだけでは、顧客の真の心理を解き明かすことはできません。データは顧客が「何をしたか」を正確に記録してくれますが、顧客が「なぜその行動を取ったのか」、あるいは「どのような裏事情があって最終的に購入を見送る決断をしたのか」といった理由までは教えてくれません。例えば、ある企業の担当者が特定の製品資料を何度もダウンロードしていたとしても、それが強い購入意欲の現れであるとは限りません。単に競合他社として自社の情報を熱心に調査しているだけかもしれませんし、あるいは自社に導入する気は全くないものの、自らの社内勉強会で使用する資料の参考にするために集めているだけというシチュエッシュンもよくあります。数値データに過度に依存してしまうと、顧客の実際の意図を見失う死角が生まれます。

近くから見る営業、遠くから見るマーケティング

双方の特徴を比較すると、営業部門は顧客との距離が近すぎるがゆえに、目の前の事例に引きずられて全体像を見失う危険を抱えています。これに対して、マーケティング部門は顧客との距離が遠すぎるがゆえに、顧客を無機質な数値の集まりとして捉えてしまい、一人ひとりの人間としての顔や背景が見えなくなる危険を抱えています。いわば、営業は「木を見て森を見ず」の状態になりやすく、マーケティングは「森を見て木を見ず」の状態になりやすいと言えます。

ビジネスにおいて本当に必要とされるのは、両者の視点の中間を取って妥協することではありません。営業の持つ個別の具体性と、マーケティングの持つ市場の共通性という2つの異なる視点を、状況に応じて柔軟に往復できる俯瞰的な視点を組織として確立することです。どちらか一方の視点に偏るのではなく、マクロなデータで全体の潮流を掴みつつ、ミクロな現場の声でそのデータの裏にある真意を検証するという、双方向の視点の行き来が不可欠となります。

個人の経験を組織の知恵に変える

ここで言う俯瞰的な視点とは、現場の実務から遠く離れた場所で、教科書的な抽象論や戦略論を語ることでは決してありません。むしろ、現場の感触と客観的なデータを結びつける、非常に実践的な取り組みを指します。具体的には、営業担当者が日々の商談の中で得た一件ごとの生々しい顧客の声を、単なる個人の経験として終わらせるのではない形で、組織全体に蓄積していくことから始めます。集まった複数の声をマーケティング部門が分析し、「最近、特定の業界で共通する新しい課題が浮上しているのではないか」というように、複数案件に共通する市場の傾向として捉え直すのです。

同時に、マーケティング部門がデータ分析によって発見した新しい市場の兆候や傾向を、今度は営業部門が実際の顧客との対話の場で「最近、このような課題を耳にすることが増えましたが、御社ではいかがですか」という形で確かめていきます。この双方向の循環が機能することによって、個人の頭の中にしかなかった暗黙知が、組織全体の共有財産である形式知へと変わっていきます。これによって、営業はより広い視野を持って商談に臨むことができ、マーケティングはより解像度の高い顧客像をベースに施策を打てるようになります。

BtoB購買の現実

特に企業間取引(BtoB)のビジネスにおいては、この視点の往復が極めて重要になります。なぜなら、BtoBの購買意思決定は、一人の担当者が個人の趣味嗜好で決めるような単純なものではないからです。実際の購買プロセスにおいては、窓口となって情報を集める「担当者」をはじめ、実際に製品を現場で使う「利用者」、社内で導入に向けて企画を推進する「推進者」、最終的な投資の判断を下す「決裁者」、契約手続きを厳しくチェックする「購買部門」、あるいはセキュリティやシステムの適合性を審査する「情報システム部門」など、非常に多くの関係者が複雑に関与しています。中には、現状維持を望んで新しいシステムの導入に強硬に反対する「反対者」が存在することも珍しくありません。

このような複雑な構造を持つBtoBビジネスにおいて、マーケティング部門が「Webサイトから資料を請求してくれた人」のデータだけを見て、それを顧客のすべてと見なすのは明らかに不十分です。同様に、営業部門が「商談の席に出てきてくれた決裁者」の発言だけに注目し、現場の利用者の不満を無視してしまうのも大きな失敗に繋がります。企業という組織全体の動き、個別の案件の進捗、それぞれの関係者の立場や心理、そして検討の段階という、重層的な要素をすべて重ね合わせて顧客を理解する必要があります。

直線的には進まない顧客の購買プロセス

さらに、現代の顧客の購買行動は、企業側が用意したマーケティングや営業のプロセスを順番に進むような、綺麗な直線を描くわけではありません。調査によると、現代のBtoB購買者の多くは、営業担当者を介さない自律的なデジタル中心の購買体験を好む傾向があるとされています。顧客は企業側がアプローチする遥か前の段階から、自分たちで自発的にネット上の情報を集め、他社製品との比較を終えていることが増えています。そして、営業担当者との実際の商談が始まった後であっても、それでデジタルでの情報収集が終わるわけではありません。社内での稟議や比較検討の過程で、再び企業のWebサイトに戻って導入事例を詳しく確認したり、詳細な仕様書をダウンロードしたりして、社内の関係者を説得するための材料を集め直しています。

ここから分かるのは、営業とマーケティングの社内的な境界線は、顧客の実際の購買行動とは全く一致していないという点です。したがって、マーケティング部門から営業部門へ、ある一瞬のタイミングで顧客を完全に「引き渡す」という従来の発想そのものを見直す必要があります。顧客の検討状況の変化に応じて、時にはマーケティングが適切な補足情報を提供して検討を促し、時には営業が個別の深い事情を確認し、その現場で得られた最新のフィードバックを再びマーケティングの施策へと戻していく、両部門による「長期的な共同支援体制」へと変革していくことが求められています。

会議を増やす必要はない

営業とマーケティングの視点を統合するための解決策を、単に「両部門のコミュニケーションを増やすために、定例会議の回数を増やす」ということだけに求めてはなりません。目的が曖昧なまま会議を増やしても、お互いの業務時間を圧迫し、現場の不満が募るだけに終わります。本当に必要なのは、両部門が同じ顧客について、それぞれが持つ異なる種類の情報をスムーズに持ち寄り、建設的に議論ができるための組織的な仕組みを整えることです。

具体的には、以下のような判断基準や共通言語を、両部門の合意のもとで事前にしっかりと定義し、明文化しておく必要があります。

  • 共通の理想顧客像:自社が最も価値を提供すべきターゲット企業の属性や状態の定義
  • 顧客の検討段階の定義:顧客が現在どのレベルまで検討を進めているかを判断する明確な基準
  • 商談化の必須条件:マーケティングから営業へリードを移管する際に最低限クリアすべき項目の設定
  • 失注理由の分類体系:なぜ案件がダメになったのかを、感情論ではなく組織として分析するための共通の枠組み
  • 再育成の移行条件:一度失注、または見送りとなった顧客を、どのタイミングでマーケティングのフォロー体制に戻すかのルール

これらの仕組みが整って初めて、営業の持つ現場のリアルな感覚と、マーケティングの持つ確かなデータが正しく噛み合い始めます。お互いを非難し合う不毛な対立を脱し、売上拡大という共通のゴールに向かって、一つのチームとして機能するための基盤が完成します。

【参考】Gartner Sales Survey Finds 61% of B2B Buyers Prefer a Rep-Free Buying Experience

「データから顧客」ではなく「顧客像からデータ」へ

デジタル技術の進歩により、私たちは顧客の行動を詳細な数値として取得できるようになりました。しかし、大量のデータを集めるだけで自動的に顧客の本質を理解できるわけではありません。本当に必要なのは、データから機械的に顧客を定義するのではなく、まず組織として明確な顧客像の仮説を立て、それを検証するために必要なデータを集めるという逆転の発想です。

「取得しやすいデータ」依存の限界

多くの企業において、顧客理解を進めようとする際に陥りがちなのが、手元にある取得しやすいデータだけを組み合わせて顧客の姿を説明しようとする手法です。例えば、自社のWebサイトの閲覧数、配信したメールの開封率、ホワイトペーパーのダウンロード数、商談の実施回数、そして最終的な受注率など、すでに何らかの管理システムの中に存在している数値を並べ、反応の度合いが高い顧客を都合よく「良い顧客」と定義してしまいます。

しかし、これらのデータは顧客の全人格や複雑な検討プロセスのすべてを表しているわけではありません。データとは、あくまで顧客が取った行動の一部を、企業側があらかじめ用意した限られた接点を通じて切り取った断片に過ぎません。資料を何度も熱心に閲覧している理由が、必ずしも製品に対する強い購入意欲であるとは限りません。実際には、社内の厳しい上司を説得するための材料集めに苦心しているだけという場合もあります。逆に、Webサイトを全く閲覧していない顧客が自社製品に関心を持っていないかと言えば、そうとも限りません。すでに競合製品を導入している知人から直接生の声を聞くなど、企業の関知しない別の経路で極めて濃密な情報収集を進めている可能性もあります。取得できるデータだけを基にして顧客像を組み立ててしまうと、結果として「企業側が測定しやすい行動をたまたま取ってくれた人」ばかりを理想の顧客と見なすようになり、市場の本当のニーズを見落とす危険性が高まります。

顧客を捉える「仮説立案」

ここで重要となるのが、「顧客像からデータへ」というアプローチへの転換です。これは、自分たちの都合の良いように思い込みで架空の顧客像を作り上げ、それに合致するデータだけを集めて自己満足に浸るという意味ではありません。そうではなく、営業部門とマーケティング部門が初期の段階から共同で机を挟み、顧客が置かれている具体的な状況に関する「仮説」を丁寧に作り上げる取り組みを指します。顧客が日々の業務でどのような環境に置かれ、何を達成したいと考え、どのような障害に突き当たっているのか。そして、どのような条件が整えば購入の決断に踏み切り、逆にどのような理由があると購入をためらうのか、意思決定のプロセスには誰が関わっているのかを組織として徹底的に議論し、言語化していきます。

このとき、顧客像を単なる年齢、業種、企業規模、売上高といった表面的な属性情報だけで構成してはなりません。これらの属性は顧客の背景の一部にはなりますが、購買の動機そのものを説明するものではないからです。大切なのは、顧客がどのような状況下で、自らの課題を解決するために自社の製品を必要としているのかという、文脈を捉えることです。これを体系的に行うための優れたフレームワークとして、顧客が本来果たしたい目的や前進に焦点を当てる「Jobs to Be Done(片付けられるべきジョブ)」の考え方や、顧客の抱える課題と自社が提供する価値の適合性を検証する「Value Proposition Canvas(バリュー・プロポジション・キャンバス)」などがあります。これらを活用し、以下の要素を網羅的に整理していきます。

  • 顧客のジョブ:顧客が特定の状況下で、本当に達成したい仕事や実現したい理想の姿
  • 顧客のペイン:ジョブを達成する上で障壁となっている悩み、リスク、あるいは現状の不満
  • 顧客のゲイン:課題が解決された結果として、顧客が期待する恩恵やプラスの成果

仮説から逆算してデータを定義する

顧客像の仮説ができ上がったら、次はその仮説が本当に正しいのかどうかを確かめるために、必要なデータを逆算して定義していきます。「データがあるから分析する」のではなく、「この仮説を検証するために、あのデータを確認する」という順序を踏むことが大切です。

例えば、営業とマーケティングの議論の中から「自社のシステムを導入したいと考えている現場の担当者が、社内での説明や稟議の通し方に苦労しているのではないか」という仮説が浮上したとします。この仮説を検証する場合、単に「資料請求の総数」を眺めていても意味はありません。確認すべきなのは、Webサイト上に掲載している他社の導入事例ページがどのように読まれているか、稟議書の作成を補助するためのテンプレート資料がダウンロードされているか、同じ企業から複数の異なるIPアドレスやユーザーによるアクセスが発生しているかといった、具体的な行動のデータです。さらに、営業が商談の場で実際に耳にした「他部門への説明が難しい」「予算の承認ルートが複雑である」といった反対意見の内容や、商談開始から最終決裁に至るまでの期間の長さなども重要なデータとなります。

よくある現場の失敗例として、営業の報告書に「価格が高い」という失注原因が並んでいるのを見て、組織全体で単純に製品の値下げを検討してしまうケースがあります。しかし、これも価格欄の数値だけを鵜呑みにするのではなく、複数の仮説を立てて検証しなければなりません。「本当に予算が足りないのか」「製品の価値が担当者に十分に伝わっていないのか」「意思決定権を持つ決裁者に接触できていないため、価格だけの判断になっているのか」といった仮説を置き、それぞれの検証に必要な情報を現場の会話や過去のデータから集めることで、初めて正しい打ち手が見えてきます。

「定性」と「定量」の往復

顧客理解を真に深め、営業とマーケティングの共通言語を構築するためには、定性調査と定量調査の役割を正しく理解し、それらを絶え間なく循環させる必要があります。定性調査とは、顧客インタビュー、日々の詳細な商談記録、カスタマーサポートに寄せられる問い合わせ、あるいは失注時に顧客から告げられた本音の会話などのことです。これらは、数字には表れない顧客の個別の事情、意思決定の真の動機、まだ誰も気づいていない未知の課題を発見する上で非常に強力な手段となります。

しかし、定性調査で得られた発見は、あくまで特定の個別事例に基づいたものであるため、それが市場全体にどの程度共通するものなのかは分かりません。そこで、定性的なアプローチによって得られた生々しい仮説を、今度はアンケート調査、Webサイト上の行動ログ、商談の進捗データ、過去の膨大な受注データといった定量調査にかけて検証します。その課題やニーズが、自社が狙うべきターゲット層の何割程度に当てはまるのか、再現性があるのかを数字で証明します。理想的な組織の運用は、以下のような循環のプロセスとして描き出されます。

  1. 仮説の構築:営業の現場感覚とマーケティングの知見を合わせ、顧客の文脈に関する仮説を作る
  2. データの特定:その仮説が正しいかを検証するために、確認すべき定性・定量のデータを決める
  3. 情報の収集:現場の商談やデジタルツールを駆使し、必要な情報だけを狙って集める
  4. 組織での解釈:集まったデータと現場の声を突き合わせ、両部門で背景にある意味を議論する
  5. 顧客像の更新:分析の結果に基づいて初期の顧客像を修正し、次の施策や商談に活かす

多くの企業が、高額なCRM(顧客関係管理)ツール、MA(マーケティングオートメーション)、SFA(営業支援システム)、あるいは最新のAIによる分析システムを導入すれば、それだけで組織の分断が解消し、売上が伸びると信じています。しかし、システムを導入する前に、そもそも「どのような問いを立てるべきか」「顧客をどのような存在として理解するか」という根底の認識が共有されていなければ、ツールの導入は分断された評価基準による無駄な業務を高速化させるだけに終わります。統合すべきなのは、データベースの構造ではなく、顧客に対する組織の眼差しそのものです。データを顧客の代わりとして崇めるのではなく、顧客像を常に検証し、磨き続けるための研磨剤として使うことこそが、営業とマーケティングが同じ方向を向くための唯一の方法です。

顧客を見る視点を統合する

営業部門とマーケティング部門の間に生まれる分断は、決して担当者同士の不仲が原因ではなく、同じ顧客を見つめながらも「良い顧客」として評価する基準が異なっているという構造的な問題から始まります。営業は目の前の具体的な案件としての成立可能性を重視し、マーケティングは市場全体の共通の反応や将来の発展性を見ています。

解決のために取り組むべきは、どちらか一方の評価基準に無理に統一することではありません。営業現場が掴んでいる個別顧客のリアルな息遣いと、マーケティングが握っているマクロな市場全体の視点を、組織として柔軟に往復させる仕組みを作ることです。データは顧客の姿そのものではありません。まず顧客がどのような状況で、何を達成したくて悩んでいるのかという文脈について仮説を立て、それを確かめる材料としてデータを活用する必要があります。

営業とマーケティングの真の統合とは、組織図を一つに書き換えることでも、同じITツールを導入することでもありません。「共通の顧客像」という羅針盤を両部門でしっかりと握りしめ、現場から上がる生の声と、客観的なデータによってその精度を絶えず更新し続けることです。

この記事を書いた人

ビジネス・テクノロジスト 貝田龍太